株式・FXは博打なのか、それとも投資なのか?お金の哲学雑学シリーズ【6】金融知識トップの元エリートによるシリーズコラム

株式・FXは博打なのか、それとも投資なのか?お金の哲学雑学シリーズ【6】金融知識トップの元エリートによるシリーズコラム
株式・FXは博打なのか、それとも投資なのか?お金の哲学雑学シリーズ【6】金融知識トップの元エリートによるシリーズコラム
金融に関する知識と教養は世界トップクラス。MBA取得元エリートで「現?」な「元・タジュウ」が解説する「お金の哲学雑学シリーズ」さぁ、お金について学ぼうぜ!
編集部/元・タジュウ

博打か、投資か、それが問題だ!

またシェークスピアの引用で始まりました。おなじみの元・タジュウです!

さて、私が執筆している文章には「記事」と「コラム」が御座います。

「記事」は法的債務整理に直接関係がある内容。一方「コラム」は一般的な金融・経済全般に関する深い(?)洞察をお届けしており、法的債務整理の観点でも考察しております。今回はコラムですが、記事に近い面があるかもしれません。

お届けするコンテンツは、「株式・FXは博打なのか、それとも投資なのか?」です。シェークスピアも気にしていた通り・・・(くどい)。

まず、内容的にはお金の話なのに金融理論には美しい側面がある、という点を説いた「銭っこの話なのに何だかキレイ…」というコラムの続編という位置付けです。出来ればこちらを先にお読みください!:

こちらの記事も読まれています
「銭っこの話なのに何だかキレイ…」お金の哲学雑学シリーズ【4】金融知識トップの元エリートによるシリーズコラム
「銭っこの話なのに何だかキレイ…」お金の哲学雑学シリーズ【4】金融知識トップの元エリートによるシリーズコラム

 

株式やFXのトレードがギャンブルなのか、投資なのか、という点は学界・実務界でも長年議論されてきた所です。もちろん、投資銀行等「おススメして擁護したい」側は投資だ! と言いますし、虚業の高給取りを僻んでいる側はギャンブルだ! と言います。この点を客観的に究明してみたい。

虚業の高給取りを僻んでいる側はギャンブルだ

では法的債務整理の観点ではどう関係があるのか? 

破産法は「射幸行為」がある場合、破産者に免責不許可事由があると規定(破産法252条1項4号)。射幸行為とは、株式取引・FX取引・先物取引等の行為が該当。

だそうです。つまり、株式やFXの取引は「ギャンブル」と見做している。はっきり。もっと言うと、株式のトレード等で借財を重ねた場合は、基本自己破産を許さない! ということです。それでも深謝すれば大抵通るので建前的ですが・・・。

株式やFXの取引は「ギャンブル」と見做している

ここら辺の論点について以下考察させて頂きます。

ちなみにFXは先物取引(フューチャーズ)の「一種」なので、並べ方のレベル感が変。正式な条文の割に・・・。

また定義

定義好きな私。まず「投資」とは? 「博打」とは? を一般的な意味合いで定義してみます。

博打から先にご説明した方が分かり易いので、そちらから!

博打

これはそのままです。カネをもっとゲットするためにカネを賭ける。サイコロを振る。ただそれだけ。

この場合、他人のことなど全く考えておらず、ただ自分が儲けるため「だけ」に賭けると定義させて頂きたく。

投資

さて投資です。こちらはもうちょっと複雑。他人のことを考えている、或いは考えている体を装っています。

自分がカネをもっとゲットするためにカネを出す、という点では同じです。究極はそれ。

ですが、「世の中のために役に立つ」製品なりサービスを生み出すためにカネを出す。それが人々の暮らしを潤す。その見返りとして出した額以上の金を貰う。こういう構図です。

ウィン・ウィンと言うのか、偽善(言い訳)の蓑をかぶっているのか・・・。これも見方次第ですが。

さて、この二つの例を挙げます。まず純粋な博打としては、サイコロ(ちんちろりん)や花札、スロットが挙げられます。これらは別に製品やサービスを生み出していないので博打であることは明白。

サイコロどうぞ

投資は端的には株式投資。ある会社にカネを突っ込んで(自分で起業しても同じ)、その事業の成果の「果実」を配当や値上がり益として受け取る。堂々と。

以下、博打は「純粋」であり単なる博打なので異論がナイとします。では、株式投資は果たして名の通り投資なのか、それとも実は博打なのか? カネを突っ込んでもっとカネをゲットしたいという点では博打っぽいし、他人のためにもなっているから博打ではなく投資なんだ! とも言えそう。非常に微妙です。

ここで、法的債務整理(自己破産)の世界と金融市場の世界、この二つに分けて考えてみたいと思います。

法的債務整理の世界

こちらの方が話が早いのでこちらから!

まず花札やパチンコなど、いわゆる博打は博打としています。これは間違いナイ。

さて株式投資等。どういう法的解釈か? 起業家がゼロから投資するような資金投下はまぁ投資でしょう。が、金を賭けて借財を作って自己破産を申請しに来る奴らは、単に「流通」している株式を買って儲けようと企んだダケ、と見ているのでしょう。

上記にあるように「株式購入が博打か、投資か」は非常に微妙です。解釈に依る、というか。

法律というのは、考え方は色々あるものの「最後は決めの問題」です。つまり、国家・裁判所がそう決めたからそうなんだ、庶民は理由無くそれに従わなくてはならない。

国家・裁判所がそう決めたからそうなんだ、庶民は理由無くそれに従わなくてはならない

また、「二者の中間」なんていう甘い解釈もありません。

法律は神なので。そう決めたからそう、これに尽きます。庶民側に解釈なんてあってもさせないのです!

金融市場の世界

始原

まず、「金融市場」というものがどうやって発生・発展したかをざっくりご説明申し上げます。債権でも先物でもこういった市場は存在しますが、話をメインの株式に絞ります。

資本主義の原理ですが、投資して製品・サービスを開発・生産・販売して儲けるのはOKとしています。その「箱」が会社。そしてその「持分(所有権)」が株式。

「オーナー(所有者)」というものは普通に考えると「何かを持ってる人」なので一人ですが、このオーナーシップを「分割」することを考えた。株式を複数発行することで、複数の人が同じ会社に投資出来る! 分け前(配当)はその持ち分の割合に応じゲット。

分け前(配当)はその持ち分の割合に応じゲット

ここからが少しややこしいです。配当が投下資金以上に溜まらないと「回収」出来ない。何年も掛かりそう・・・。でも株式を「転売」出来るならすぐ回収出来る!

言い方を変えると、株式を転売すると(出来るなら)その際オーナーが「すり替わる」ということです。

こういうわけで、「市場」が成り立ちました! 今でいう「上場 or 未上場」という区別は本来的にいらないのですが、当局も関わって市場を整備し、そこで多くの参加者により活発に取引されているのが上場株式。だと。

駆け足でご説明。

以下、今ある東証のようないわゆる「金融市場」で流通している株式を売買するのってどうよ? それって博打なの? 投資なの? を解き明かします!

判定基準

博打か、投資か、それが問題だ!

この点につき、スパッと判定する基準を設けさせて頂きます:

博打

カネを突っ込んでもっとカネをゲットしたい。この際、勝負が「純粋にランダム」なものを「博打」とします。半か丁か!? 等のサイコロ賭博が一番分かり易いですね(パチスロはお店が裏でコントロールしているかもしれませんが・・・)! 花札とかもいかさまが無い限りそうです。この点は異論ないと思います。

なお、麻雀等「戦略」に左右されるものはランダムな要素もありますが、除外しておきます。

麻雀

投資

カネを突っ込んでもっとカネをゲットしたい。この際、事業運営は未来のことなので不確実要素もあるが「(他の人に無い)目算がある」のでそうする。つまり完全にランダムではなく確実だと思われる部分があるのを「投資」とします。

効率的市場仮説

一つ前の「金融理論って美しい!」という主旨のコラムでも触れていますが、こちらを。かなり恐ろしい内容です(現実的に本当に正しいかどうかは別)。

一応ウィキの小難しい(正式な)定義を先に

まず、株式の価値は「情報」に左右されるものとします。分かり易い例を。(一年当たりの)利益が10円なら株価はその10倍(ぐらい)で100円。とか。これには異論無いはずです。利益を出す会社ほど価値がある!

さて、こういった利益の情報(決算情報)にもタイムラインで色々あります。大きく分けて過去・現在・未来の情報です。

具体的に、2年前A社の利益は4円だった。今日発表された今年の利益は5円。未来のことは分からんが、2年後に「大体」8円まで上がるんじゃないかと皆言ってる。

ここで効率的市場仮説が何を言っているか。

過去・現在・未来の情報

過去の情報

これを分析しても意味ナシ。もう株価に織り込まれてますよね! ということです。

極端な例で説明します。株価が今40円だとします。逆算すると利益は4円でしょう、と。もし2年前に利益が4,000円だったのに株価40円で放って置くバカはいません。市場には参加者が無数にいますので、そういう「おいしいチャンス」があったら群がって買い漁り(需給で値が上がり)、すぐ40,000円に収束してしまいます。

なので意味ナシ。

なお具体的には過去の情報についてテクニカル分析(けい線分析)ってこういう観点で意味ナイんじゃないの? とか言われています。

現在の情報

過去より少し微妙になりますが、これも同じです。今日決算発表会があり利益4,000円! と発表されて株価40円で放って置くバカはいません。但し収束するのにラグが数日あるかもしれません・・・。

未来の情報

これも、現在の利益水準から「ある程度」分かるので、どうか、と。今年利益4円で、来年は今のトレンドだと来年は大体5円「前後」か、とかはアナリストでなくても常識で(この私でも!)分かります。

株式は「将来の成長率」に依存することが多く、未来の利益に一番掛かっているのでは? と言われています。確かにもっともだ。

ならコンセンサス(無数の参加者がいる市場の平均的な見方)が利益5円なら、株価も50円程度だろうね、と。そこへ、俺は利益4,000円になると思うから株式に40,000円まで出せるんで、30,000円で買っとくと儲かる! とか考える人はいません。

ここで、ピッタリ5円ではなく4.8円~5.2円ぐらいで「着地の幅」はあるかもしれません。これがどうなるかは蓋を開けてみないと(その時が来てみないと)誰にも分からない・・・。なら「ランダム」だろう、と。利益にランダムな部分があるなら株価もランダムだろう、と。だからやたらと「小刻みに上下」したりする。

なお具体的には現在・未来の情報についてファンダメンタル分析(財務諸表分析)ってこういう観点で意味ナイんじゃないの? とか言われています。

ファンダメンタル分析

アナリストは要らん、と。競馬の予想屋以上にテキトーだろう、と。

アナリストは本当に意味ないのか。来年の利益、5円ぐらいだろうな、と大体わかっているのに4,000円になるでしょう! とか言ったらその日でクビです。なので、複数のアナリストの予想も大体5円に収束します。人によっては4.9円と言ったり、5.1円と言ったりすることはある。これも最後は勘なのである種のランダムでしょう・・・。

ちなみに未来の情報で「大御所」のインサイダー情報については影響あるでしょう、としています。利益5円って言っているのだが、主要工場で火災があったとかのニュースがまだ表には出ていない(明日、社長が頭を下げて正直に記者会見の予定)。出た瞬間利益予想が2円とか赤字になるので株価は下がる。それを知っている内部の人間(工場の管理部長とか)がこっそり先に売ると損を免れる。良い方の例でも。あっと驚く新製品が発表される三日前。これにより利益予想は10円まで上がりそう。開発責任者がこっそり妻に言って先に自社の株を買っておいてもらえば大儲け! 一応法律で禁止されていますが、やってる人もいます。

インサイダー情報

インサイダー情報については市場に出ていないので考察から除外します。

で、結論は? 市場で流通している株式については値段については「ほぼランダム」!

面白い話です。元々創業時には「投資」でした。それが多くの人の手に株式がポンポン投げ渡されるうちに「博打」と現象面では同じような事になってしまった・・・。

さて、創業者 = 本当の意味での投資家 から株式のおすそ分けを貰った(買ったんですが)人達や、その人からさらに譲り受けた(買ったんですが)人達は「投資家」ではないのか? ステーク、又はリスクを「肩代わり」しているという意味、或いは新たなオーナーになった、という意味では投資家でしょう。自分で苦労して起業をしたのではなくただ株式をカネで買っただけなので、「投資家度」は実は薄い・・・。この「薄い」という点、法的債務整理の観点では重要です。こちらは後述します。

「投資家度」は実は薄い

ではまとめで、株式は博打なのか、投資のなのか?

起業の際の資金投下はまず「投資」でしょう。但し未来は不確実(例えば材料価格や顧客動向等)という点では博打的な要素もあります。

他の人が立ち上げた会社の株式を「単に買う」のはどうか? 端的には整備されたいわゆる金融市場で。焦点はこちらです。ほぼランダムなのでそういう意味では博打。肩代わりしている点ではちょびっとだけ投資感もある。こんな感じでしょうか・・・。この点は私個人の意見でもありますので、絶対的な真実でもありません。

効率的市場仮説も、経済学的に「摩擦の無い純粋な状態」ではそうだろう、という理論寄りのものなので実際の世の中に完全に合致しているかと言うと、はっきりしません。つまり、市場参加者やアナリストが知恵を振るって利益を予測することが有意に多少意味がある(目利きが鋭い方が勝つ、或いは他人を出し抜ける)、つまり完全にランダムとは言えない、というのが実情かもしれません。

が、いずれにせよフレームワークとしては非常見事ではないか、と考えております!

まず効率的市場仮説は「基本的に(論理的に)正しい」。が、多少ランダムではない余地もある。現実的な結論としてはこうでしょうか・・・。

元々は投資だった。だが、流通が頻繁なると肩代わり(新オーナー)感は少しあるものの何だか博打っぽくなっちゃう。

最後は個々人の見解の問題です。

私自身はどう思っているか? まず博打です! でも100%博打とは言わない。「まず」で!!

まず博打です!

この感懐については、投資銀行マンを目指して無残に失敗し借金まみれの情けない人生を余儀なくされた恨みやひがみももちろんあります。それが無かったら? エリート投資銀行マンで出世・成功していたら、間違いなく「株式取引はギャンブルなどでなく、投資です!」と声高に言っていたでしょう・・・。都合がいい人間なので。

ちなみに、株式以外の金融商品について。債権についても大体同じようなことが言えます(当初は、貸付という形態を取るある種の投資なんで)。自己破産の条文で挙げられている「先物」についてはややこしいので割愛。いわゆる投資ではありません。「もっとランダムだ = 博打性がより高い」とだけ言っておきます。先物については機会があればまたコラムで改めて解説させて頂きます!

法的債務整理への応用

では、この考え方が実際の法的債務整理に応用出来るか?

直接は出来ません(「コラム」なので)。でも知っておいて損は無いかと思います。

株式が博打か、投資か、についてはタイミングの問題と最後は見方次第、ということでした。

再々ですが、国家・法律・裁判所は、自己破産の枠組みにおいては「単なる値ざや狙いのトレード」、だから博打だと見ています。見ている、というか神としてそう規定しています。

なら、多重債務があって自己破産を検討している場合、悪気は無くても株式のトレードは一切そこでストップした方が良い。持っていてもその時点で売り買い等は一切止める。というのが賢明かもしれません。

株式のトレードは一切そこでストップ

この点、他のギャンブルや株式のトレードで借金を抱え込んでいる場合は当然です。さて、他の理由(失業等)でも念の為株式取引を控えておく、という方が賢いでしょう!

まとめ

  • 株式取引は博打か、投資か、それが問題だ!
  • 法的債務整理の世界と金融市場の世界で解釈が違うらしい。
  • 法的債務整理の世界では、博打と「決め打ち」している。
  • 金融市場の世界では、元々投資だったのが何だか市場のランダムさのせいで博打感が出て来てしまった。
  • 自己破産を検討しているなら、その申請理由の如何によらず、株式には触らない!

株式には触らない!

この記事を書いたのは
編集部キャップ/元・タジュウ
編集部キャップ/元・タジュウ
日本国内某一流大学を卒業後、米国一流校でMBAをトップクラスの成績で取得。Chartered Financial Analyst, CFA/日本証券アナリスト協会認定アナリスト, CMA取得済み。金融に関しての知識は世界トップクラス。ネイティブ並みの英語とタイ語能力を有す。大手町大手監査法人でM&Aアドバイザー職を経て右往曲折(紆余だけでなく。詳細は記事をご覧あれ)。現在は債務整理中央事務局で編集キャップとして活動中。コップンカップ!
私が監修しました
川﨑純一
司法書士法人アストレックス
川﨑純一 司法書士
平成20年に20代で司法書士登録、15年以上の業務歴がある司法書士。債務整理や借金等の消滅時効援用の相談も得意としている。